ニューヨークの旅
6/10/1872 – 6/21/1872
ニュージャージーからフェリーでニューヨーク市に到着。 代表団はバギーに乗ってブロードウェイを下り、ホテルに到着する前にレンガの道とトロリーカーに注目しました。
1872年6月11日の朝、使節団は北部に向かうため市を出発しました。最初の訪問地はウェストポイント陸軍士官学校で、2日間滞在します。使節団はいくつかの戦闘教練を見学し、陸軍長官ウィリアム・ベルナップら将校と食事をしました。代表団は覚書で、訓練中の歩兵のプロフェッショナリズムを称賛する一方で、「日本兵に比べ、アメリカの砲手はほとんど的を射ない」と述べ、その射撃技術にはやや感心していない様子でした。
6/11 - 6/12 continued
岩倉使節団の記録によると、ニューヨーク州オルバニーに立ち寄ったことが記されています。使節団は、この町を「煙突が見渡す限り並んだ町」と表現し、それは列車から見える川の景色をかき消すほどだったといいます。当時、ニューヨーク州会議事堂は建設中であり、1879年まで無人のままでした(現在も残っています)。下の写真は、使節団が通過する1年も前の1871年9月に撮影されたものです。
使節団はナイアガラフォールズ市のインターナショナル・ホテルに2泊しました。6月14日には、滝、ゴート島、ワールプール渓谷の探索に一日の大半を過ごしました。久米は、滝の「轟く激流」を「宝石が散り、雪片が降る」ようだと表現しました。その夜、使節団は、1853年に日本との通商関係を開くために使節団を派遣したミラード・フィルモア元大統領と会食します。
6/13 - 6/15 continued
サラトガにあるサマーリゾートを訪問するために旅行しました。グランドユニオンハウスのホテルでは、彼らは大宴会と舞踏会でのもてなしを受けました。
サラトガ湖でポテトチップスを食べました。これはこの地域ではじまった有名な料理でした。近くのサラトガ温泉(鉱泉)も訪れました。
アスター図書館、聖書協会、青年キリスト教青年会(YMCA)にバギーに乗って行きました。
Explore Related Stories to the New York Itinerary
![](https://www.historyofjapaneseinny.org/wp-content/uploads/2022/12/Logo-Copy.png)