佐々木 直宏

佐々木直宏は、ニューヨークの日本人・日系人コミュニティにおいて、移民としての労働、相互扶助、墓地の維持・継承、そして戦後復興をつなぐ役割を果たした一世のコミュニティ・リーダーである。

日本に生まれた佐々木は、商船員として世界を巡ったのち、1924年に渡米した。渡米後はニューヨーク州に住み、アルバニーの州知事公邸で食事の準備に携わったと伝えられている。1938年までにはコネチカット州ノーウォークに移り、1940年には妻の佐々木栄子とともに同地で「The Owl Restaurant」を開業し、長年にわたって経営した。1928年に撮影された写真には、Brookville Gardens の配達用トラックを運転する佐々木の姿が写されている。戦後のコミュニティ・リーダーとして広く知られる以前の、ニューヨーク周辺における佐々木の労働生活を伝える貴重な一枚である。

佐々木の活動は、高見豊彦博士が築いた、より古い相互扶助の伝統を受け継ぐものであった。高見は1907年、戦前の日本人共済会(Nihonjin Kyosaikai / Japanese Mutual Aid Society)を創設した。高見の共済会は、福祉支援、コミュニティ内の相互扶助、そしてマウント・オリヴェット墓地における日本人墓地の設立を通じて、日本人移民を支えた。

第二次世界大戦後、佐々木はこの相互扶助の精神を新たな時代へと引き継ぎ、日本人・日系人共済会、またはニューヨーク共済会として知られる組織を率いた。同会は、戦時中の混乱からコミュニティが再建され、日本の戦後の荒廃にも応答していた大きな転換期に、ニューヨーク地域の日本人および日系人を支援した。LARA(Licensed Agencies for Relief in Asia)に関わる対日救援活動に参加するとともに、地域における福祉活動も行い、病院訪問、葬儀支援、会員支援、高齢者や孤立した人々へのケアなどに取り組んだ。

1950年の同会の会合通知および議事録には、佐々木が会長として記録されている。これらの記録では、佐々木が定例会を開会し、理事会を主宰していたことが確認できる。また議事録からは、同会の実践的で手厚い活動も読み取れる。病院の患者を訪問し、葬儀支援を手配し、福祉案件に対応し、対日救援のための慈善映画会を開催し、墓地に関する問題にも取り組んでいた。同会の事務所は、ニューヨーク市西94丁目171番地に置かれていた。

マウント・オリヴェット墓地の日本人墓地は、もともと高見の戦前の日本人共済会を通じて設立されたものであるが、佐々木の戦後の共済会も、より広いコミュニティ福祉活動の一環として墓地に関する課題に対応し続けた。佐々木はまた、サイプレス・ヒルズ墓地に日本人墓地を設けることに尽力した人物としても記憶されている。これにより、ニューヨークの日本人・日系人コミュニティの人々が尊厳ある安息の場を持ち、埋葬や墓地の維持がコミュニティの相互扶助の責任として継承されることとなった。

この意味で、佐々木のリーダーシップは、初期一世による相互扶助の伝統と、戦後ニューヨークにおける日本人・日系人コミュニティ組織の再建をつなぐ重要な架け橋であった。その活動は、日々の暮らし、病、死、追悼、そしてコミュニティの存続に関わる実際的な必要を結びつけるものであった。

1952年、日本人・日系人共済会は、再編されたニューヨーク日本人会と合併した。この合併後、組織は Japanese American Association of New York, Inc. として知られるようになった。したがって佐々木の活動は、戦前の相互扶助、戦後の福祉活動、墓地の維持、そしてニューヨークの日本人・日系人コミュニティにおける制度的継続性を結びつける、JAA史上の重要な転換点に位置づけられる。

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