竹田京子は、移民、夫との死別、ニューヨークにおける家事労働という一世女性の経験を伝える人物である。1898年に愛知県で生まれ、1918年に渡米した。渡航中は激しい船酔いに苦しみ、航海の大半で食事を取ることができなかったという。
竹田はアメリカで結婚し、家庭を築いた。1927年に一度日本へ帰国したが、その後は成人後の人生のほとんどをアメリカで過ごした。夫が手術後の合併症により亡くなると、親族から子どもたちを連れて日本へ帰るよう勧められた。しかし竹田は、親族に頼るのではなく、自ら働いて生活を支えることを選び、アメリカに残った。
夫の死後、竹田は、タイプライターの発明で知られる一族と関係のある裕福なアメリカ人家庭で、女性付きの身の回りの世話をする仕事に就いた。大恐慌期は、仕事を得ることも十分な賃金を得ることも難しい時代であった。当時、多くの男性労働者の月給が40ドルに満たなかったなか、竹田は月給110ドルで雇用され、単なる使用人ではなく、家族の一員のように扱われたと回想している。
家事労働は、多くの日本人移民女性にとって重要な雇用の機会であった一方、働く女性を孤立させ、不安定な立場に置くこともあった。竹田はアメリカで学校教育を受けておらず、英語力の不足による困難を経験した。仕事を探す際には、すでにアメリカ人家庭で働いていた日本人の料理人、執事、そのほかの家事労働者とのつながりに頼ることもあった。彼女の回想には、こうした仕事上の人間関係を通して知り合った男性から、望まない結婚を迫られたり、つきまとわれたりした経験も記録されている。
竹田は夫を亡くした後も働き続け、ニューヨークで家族の生活を支えた。聞き取りが行われた時点で、渡米からおよそ60年が経過していた。彼女の証言は、制度や公的な記録には残りにくい移民労働の一側面を伝えている。それは、個人宅での家事労働を通じて、自らと家族の生活を支えた一世女性たちの歴史である。
竹田京子の回想は、移住、家族との死別、言葉の壁、個人宅における有給労働によって形づくられた日本人移民女性の経験を明らかにする。彼女の人生は、公の場から見えにくい労働を通して、ニューヨークに長い生活の基盤を築いた多くの一世女性を代表するものである。
出典: 竹田京子聞き取り記録、「ISSEI」コレクション、ニューヨーク日系人会アーカイブ。