犬飼恭平

Year: 1886-1954

岡山県出身。1900年に親戚を頼ってハワイに渡る。その後サンフランシスコに移り、マーク・ホプキンス美術学校で学ぶ。1906年のサンフランシスコ大地震を機に、シカゴに移動し、シカゴ・アート・インステチュートで学んだ後、1915年頃ニューヨークに移る。1918年の紐育日本美術協会の展覧会、1927年の紐育新報社の邦人美術展覧会に出品。1921年のペンシルヴァニア・アカデミーに《反映(Reflection)》を出品したほか、1922年にアーリントン・ギャラリーで個展を開催、1926年のナショナル・アカデミー・オブ・デザインで《作業》がメーナード賞を受賞。1930年代にはグランド・セントラル・ギャラリーの会員となり同ギャラリーの展覧会にも出品している。肖像画家として多くの作品を残した。また長野県出身の彫刻家である川村吾蔵とも交友があった。1954年にニューヨークで死去。1977年にアズマ・ギャラリーで開かれたHalf Century of Japanese Artists in New York, 1910’-1950’でも作品が展示された。

参考:Half Century of Japanese Artists in New York, 1910’-1950’,(Exhibition catalogue:  Azuma Gallery, 1977)、東京都庭園美術館 『戦後50年企画 アメリカに生きた日系人画家たち—希望と苦悩の半世紀1896-1945』(展覧会図録) 日本テレビ放送網 (1995)、デイヴィー美代子(セルデン恭子訳)『肖像画家犬飼恭平―ある異教徒の告白』 吉備人出版(2013)、 『紐育新報』、『日米時報』

このエントリーは、デジタル企画展「戦前期ニューヨークの日本人画家たち-1910年代から1940年代までの芸術の軌跡-」で紹介されたものです。

出典: Courtesy of Wikipedia from the Archives of American Art (Public Domain Image)
Added Date: 03/02/2024