イサム・ノグチ

Year: 1904-1988

ロサンゼルス出身。詩人、野口米次郎とアメリカ人のレオニー・ギルモアの息子。1906年に家族と共に帰国し、少年期を日本で過ごし、1918年に渡米する。1919から1920年にかけて彫刻家ガストン・ボーグランに彫刻を学び、1925年ナショナル・スカルプチャー・ソサエティの会員になる。1922年からコロンビア大学で薬学を学び、1927年に同校を卒業後は、グッケンハイム奨学金を得て渡仏しブランクーシに師事する。そのいっぽう、パリのグラン・ショーミエール、アカデミー・コラロッシでも学んだ。1928年から1931年にかけてフランス、日本、北京、ベルリン、モスクワに滞在した後、帰米する。WPAではニューワーク空港の図案を提出するが不採用になる。1935年、マーサ・グラハム舞踊団の舞台装置を手掛ける。第二次大戦中の1942年にアリゾナ州ポストンの日系人収容所に志願入所し、6ヶ月後ニューヨークに戻る。

ニューヨークの日本人芸術家とはあまり交流がなかったようだが、1927年、1935年の紐育新報社の邦人美術展覧会に出品した。1988年にニューヨークで死去。

参考:新見隆(監修)『20世紀の総合芸術家 イサム・ノグチ—彫刻から身体・庭へ』平凡社(2017)、「イサム・ノグチ 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所http://www.toubunken.go.jp/materials/bukko/00-0.html) (閲覧日 2024,1,29『紐育新報』、『日米時報』

このエントリーは、デジタル企画展「戦前期ニューヨークの日本人画家たち-1910年代から1940年代までの芸術の軌跡-」で紹介されたものです。

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Added Date: 03/02/2024