石垣栄太郎

Year: 1889-1958

和歌山県出身。1909年に先に渡米していた父親に呼び寄せられアメリカに渡る。シアトルやベーカース・フィールドに滞在した後、サンフランシスコに移る。サンフランシスコで片山潜と出会い社会主義の思想に目覚める。またウォーキン・ミラーの山荘で英詩人菅野衣川の妻で彫刻家のガート・ルード・ボイルと出会い、1915年に彼女と共にニューヨークに移る。ニューヨークでは家具調度品や傘の柄の修理の仕事をしながら、アート・スチューデント・リーグに通いジョン・スローンに師事する。

1925年の独立美術家協会展で《鞭打つ人》が注目された。これ以降、1925年から1931年と1933年、1934年の独立美術家協会展、1925年から1927年のサロンズ・オブ・アメリカに出品する。また1922年の画彫会の展覧会、1927年、1935年、1936年の紐育新報社の邦人美術展覧会、1937年のWPAから解雇された中国と日本の芸術家の展覧会、1938年のニューヨーク市民美術展覧会第31回展覧会に出品。1929年に組織されたジョン・リード・クラブのメンバーとなり、その後1937年から1940年のアメリカ美術家会議の年次展覧会、1937年12月の「世界のデモクラシーを防衛する スペインの人民に捧げる」展に出品している。

戦後、共産主義活動の疑いをかけられ、1951年に妻石垣綾子と共に日本に送還される。1958年に東京都三鷹市で死去。1977年にアズマ・ギャラリーで開かれたthe Half Century of Japanese Artists in New York,1910’-1950’でも作品が展示された。

参考:Half Century of Japanese Artists in New York, 1910′-1950′ ,(exhibition catalogue: Azuma Gallery, 1977)、石垣綾子『海を渡った愛の画家 石垣栄太郎の生涯』御茶の水書房(1988)、和歌山県立近代美術館『アメリカの中の日本―石垣栄太郎と戦前の渡米画家たち』(展覧会図録) 和歌山県立近代美術館 (1997)、和歌山県立近代美術館『生誕120年記念 石垣栄太郎展』和歌山県立近代美術館 (2013)、『紐育新報』、『日米週報』、『日米時報』

このエントリーは、デジタル企画展「戦前期ニューヨークの日本人画家たち-1910年代から1940年代までの芸術の軌跡-」で紹介されたものです。

出典: Courtesy of Wikipedia from the Archives of American Art (Public Domain Image)
Added Date: 03/02/2024