岩本 金一 (1895–1994)

岩本金一は、第二次世界大戦の前後にわたり、ニューヨークの日本人コミュニティに医療を提供した一世の医師である。1895年頃、岡山県に生まれたとみられ、名古屋で育ち教育を受けた後、医学の研鑽を続けるため、1920年頃に渡米した。

ニューヨークで岩本は、戦前の日本人コミュニティを支えた、規模は小さいながらも重要な日本人医療従事者のネットワークの一員となった。ニューヨークで医学を学び、1923年に医学博士号を取得し、翌1924年にはマンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドに診療所を開設した。診療所は、サン・フアン・ヒルからアッパー・ウエスト・サイドにかけて形成されていた日本人コミュニティと密接に結びついていた。この地域には、日本人住民のほか、レストラン、下宿屋、職業紹介所、商店、専門的サービスを提供する事業所などが集まり、長期滞在の移民と一時的な滞在者の双方を支えていた。別の日本人医師であるE・E・ヨシ医師は、一時期、岩本と診療所を共同使用しており、日本人歯科医のM・ツチヤ医師も同じ地域で開業していた。

岩本の回想は、ニューヨークにおける日本人移民への医療の実態を伝える、貴重な記録である。岩本は、患者を第一に考え、金銭は二の次とする、かつての医師の倫理観について語っている。後の時代にパーク・アベニューの立派な診療所を構えた医師たちとは異なり、岩本は夜間であっても患者の家へ往診したと回想している。その証言からは、言語、移民としての法的地位、一時的な雇用、企業を通じた人的ネットワーク、相互扶助などによって成り立っていたコミュニティにおいて、日本語を話す医師が果たした重要な役割がうかがえる。

1924年移民法によって日本からの新たな移民が大幅に制限された後も、岩本は、すでにアメリカへ入国していた「1924年以前の世代」の日本人居住者としてニューヨークにとどまった。その生涯は、ニューヨークにおける日本人の歴史の二つの時代をつないでいる。すなわち、学生、労働者、企業駐在員、専門職の人々が比較的自由に都市を行き来していた初期の時代と、排他的な移民法によって形づくられた、より制限の厳しい戦間期である。

第二次世界大戦中、岩本は真珠湾攻撃直後にニューヨークで逮捕された日本人男性の一人であった。歴史資料によれば、1941年12月7日の深夜直前、FBI捜査官とニューヨーク市警察官が岩本の自宅を訪れたという。岩本はまず地元の警察署へ連行され、その後、マンハッタン南部の連邦裁判所を経て、最終的にエリス島へ送られた。岩本は後に、約20人の被拘束者とともにエリス島へ移送されたと回想している。数か月間拘束された後に釈放され、医師としての診療を再開することを許された。

戦時中のさまざまな制限は、岩本の医療活動と、彼が支えていた日本人コミュニティの双方に大きな影響を与えた。岩本は、夜間外出禁止令、移動制限、そして日本人居住者が一定の範囲を越えて移動する場合に許可を得なければならなかったことを記憶している。また、戦時中には多くの日本企業の社員がニューヨークを離れたため、日本語を話す医師に対する需要も減少したと語っている。岩本は、戦後のニューヨーク日本人共済会にも携わっていた。

岩本金一の生涯は、ニューヨークにおける日本人の医療活動、戦前のアッパー・ウエスト・サイドの日本人コミュニティ、1924年移民法の影響、エリス島での戦時拘束、そして戦後における一世のコミュニティの記憶の保存という、複数の歴史を照らし出している。岩本の回想は、専門職としての奉仕を、ニューヨークの日本人移民コミュニティにおける日常生活、医療とケア、制約、そして困難を乗り越える力の具体的な記憶へと結びつけるものとして、とりわけ貴重である。

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