画彫会展覧会の集合写真(1922年)
![](https://www.historyofjapaneseinny.org/wp-content/uploads/2024/02/005-Commemorative-Photo-at-the-Civic-Club-1024x799.jpg)
画彫会の展覧会の会場で撮影された集合写真です。 前列中央に古田土雅堂、前列の右端で横を向いて写っているのは国吉康雄です。そして後列一番左端に石垣栄太郎、二列目左から2人目が犬飼恭平、後列左から4人目が清水登之です。
画室の石垣栄太郎 (Evening Telegram New York 1922 Nov. 4)
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「若き日本人画家、アメリカ人男女に奇妙なコントラストを見出す」(『イブニング・テレグラム』1922年11月4日付)。
古田土雅堂《家庭》(1922年頃)
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茶色を基調とした室内を背景に、家族5人がテーブルを囲んで団らんする様子を描かいています。六角形の部屋の壁面と、その真ん中に灯る電灯、食卓を囲む家族は食事の前の御祈りをしているのでしょうか。温かいぬくもりが感じられます。
古田土雅堂《街路》(1920年頃)
![](https://www.historyofjapaneseinny.org/wp-content/uploads/2024/03/008-Kotato-GadoT.K.-Gado-Traffic-1024x801.jpg)
画面の後方に林立するのは、ニューヨークのビル群、そして中央より少し上に、黒く横に走る線は、高架鉄道でしょう。画面の前方には、無数の幾何学的な線により、大通りを走る馬車の列や、道路を行き交う人々の様子を描かれ、今にも街の雑踏が聞こえてきそうな作品です。
古田土雅堂《地下鉄のラッシュアワー》(1918年頃) (1919年独立美術家協会展)
![](https://www.historyofjapaneseinny.org/wp-content/uploads/2024/03/009-Kotato-GadoT.K.-Gado-Rush-Hour-in-Subway-1-1024x775.jpg)
ラッシュ時の混雑した地下鉄の車内の様子を幾何学的な線で描いています。本作品は1919年の第3回独立美術家協会展にも出品されました。 『日本人』では「あの現代世相の一場面とも見らるる「ラッシ アワー」の空気のムーブメントを巧みに捕へている。最近作らしい「家族」は益々圓熟して、そして落付いて来たやうだ」(草二「画彫会を見て」『日本人』97号、1922年10月25日)と評価しています。
平本正次《ロダン》(1922年頃)
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彫刻家の平本正次は、《ロダン》《ブッダ》、《ジョフル》を出品しました。