牧野 克次 (1864–1942)

牧野克次(1864–1942)は、京都における近代美術教育と20世紀初頭のニューヨークの文化活動を結んだ洋画家、教育者、デザイナーである。

現在の大阪府藤井寺市に生まれ、守住勇魚に洋画を、守住貫魚に日本画を学んだ。その後上京し、小山正太郎が主宰する不同舎で洋画を学んだ。関西に戻った後は、関西美術会の創設に発起人として参加するなど、洋画の普及に関わる活動を展開した。

1902年、現在の京都工芸繊維大学の前身にあたる京都高等工芸学校の助教授に就任し、浅井忠のもとで教育に携わった。

ニューヨークでの教育とデザイン活動

1906年、牧野は洋画家の霜鳥之彦とともに渡米した。一時帰国を挟みながら、1906年から1913年にかけてニューヨークで活動し、ニューヨーク・スクール・オブ・アートで水彩画を教えるとともに、複数の建築・装飾プロジェクトに参加した。

牧野の活動は絵画制作にとどまらなかった。西洋美術と日本の意匠の双方に関する知識を生かし、室内装飾、家具、金工、建築設計など、日本の美術とデザインをアメリカに紹介するさまざまな文化事業に携わった。

松楓殿の室内装飾

松楓殿は、1904年に開催されたセントルイス万国博覧会の日本館として建設された建物である。博覧会終了後、日本人化学者・実業家の高峰譲吉がこの建物を取得し、ニューヨーク州フォレストバーグにあった自身の別荘へ移築した。

1908年頃、牧野は松楓殿の室内装飾の一部を設計・制作した。そこには、室内を飾る絵画や装飾意匠などが含まれていた。

ニューヨークへ移築された建物では、暖房が使用される乾燥した室内環境に適した材料と技法が必要となった。牧野は、キャンバスに油彩と金箔を用いるなど、日本の伝統的な装飾表現をアメリカの環境に合わせて応用した。その仕事は、日本建築と装飾美術がアメリカの環境のなかでどのように再構成されたかを示している。

ニューヨークの高峰邸

1908年、高峰譲吉は、ニューヨーク市リバーサイド・ドライブ334番地に建設する自邸の室内意匠を牧野に依頼した。1912年に完成した高峰邸は、外観が一般的なアメリカ式住宅である一方、内部には本格的な日本風の空間が設けられていた。

牧野の意匠は藤原時代の建築と装飾を基調としながら、室町時代および江戸時代の要素も取り入れていた。これらの歴史的様式は、近代的なニューヨークの住宅の規模や実用上の条件に合わせて調整された。

このプロジェクトには、日本とアメリカの建築家、デザイナー、工芸家、美術商からなる幅広いネットワークが関わった。武田五一、京都高等工芸学校の関係者、山中商会、野村家の関係者、京都の川島織物などが参加していた。

日本クラブ

牧野は、ニューヨークの日本クラブの建物の室内装飾にも関わった。日本クラブは、20世紀初頭のニューヨークにおいて、日本人居住者や訪問者のための重要な社交・文化施設としての役割を果たした。

京都工芸繊維大学美術工芸資料館には、日本クラブに関連する牧野の図案のほか、記念杯や銀製記念メダルのためのデザインも保存されている。

この銀製記念メダルは、1912年のニューヨークにおける日本の桜の植樹と関係するもので、マンハッタンのサクラ・パークとも結び付いている。これらのデザインは、日本とニューヨークの市民的・文化的交流に牧野が関わっていたことを示している。

フリーア美術館の構想

1912年から1913年にかけて、牧野はアメリカ人美術収集家チャールズ・ラング・フリーアと書簡を交わし、フリーアが収集した東洋美術とアメリカ美術を展示する美術館の計画に関わった。

牧野は、藤原時代の建築を参考にした中央ホールを中心に、鎌倉、東山、桃山、足利の各時代・様式を表現する展示室を提案した。また、展示室内の家具や展示ケースについても設計案を作成した。

その後、美術館の建設予定地が変更されたため、牧野の提案は当初の形では実現しなかった。しかし、牧野の図面と書簡は、後にフリーア美術館となり、現在はスミソニアン国立アジア美術館の一部を構成する施設の初期構想を示す重要な資料である。

帰国後

牧野は1913年に帰国した。その後台湾へ渡り、1915年には久邇宮家に仕えた。1918年に東京へ移り、1942年に亡くなるまで、画家およびデザイナーとして活動を続けた。

牧野の作品と関係資料の多くは、現在、京都工芸繊維大学美術工芸資料館に保存されている。コレクションには、絵画、素描、図案、写真、書簡のほか、日本とアメリカでの活動に関するさまざまな資料が含まれている。

2022年、同館は企画展「牧野克次と霜鳥之彦―洋画家の多彩な顔―」を開催し、二人の洋画家の経歴と幅広い活動を紹介した。

牧野克次の活動は、20世紀初頭に日本とアメリカの間を行き交った芸術家、思想、デザインの動きを映し出している。ニューヨークでの牧野の仕事は、日本の美術がアメリカ社会へ紹介される建築的・文化的環境の形成に、日本人芸術家自身が直接関わっていたことを示している。

参考文献・関連資料

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