アジア救援公認団体(Licensed Agencies for Relief in Asia)、通称**LARA(ララ)**は、第二次世界大戦によって甚大な被害を受けた国々への人道支援を調整するため、アメリカの慈善団体および宗教団体による連合組織として、1946年4月に設立された。食料、衣類、医薬品をはじめとする生活必需品の不足が深刻であった日本では、1946年11月に救援物資の配給を開始し、1952年6月まで活動を継続した。
LARAには、アメリカ・フレンズ奉仕団(American Friends Service Committee)をはじめ、国際救援活動の経験をもつ宗教団体や人道支援団体が参加した。連合国占領当局の許可のもと、寄贈された物資を日本へ輸送し、日本国内の社会福祉団体を通じて無償で配給する体制を整えた。救援物資は、戦後の深刻な困窮に直面していた子ども、家族、病院、学校、孤児院、その他の施設に届けられた。
この救援活動は、南北アメリカ大陸各地の日本人および日系人コミュニティからの支援にも大きく支えられていた。LARAを通じて日本国内で配給された物資の約20パーセントは、北米および南米に暮らす日本人や日系人から寄せられたものだった。ニューヨークの日本人および日系アメリカ人コミュニティも、この国際的な救援ネットワークにおいて重要な役割を果たした。
ニューヨークでは、日本救援紐育委員会(New York Japanese American Committee for Japan Relief, Inc.) が、LARAの活動を支える地域の救援運動を組織した。同委員会は、1945年9月に結成された日本救援のための準備組織を前身とし、日本で困窮する人々を支援しようとした日本人移民、日系アメリカ人、宗教関係者、その他のコミュニティの人々を結集した。
1946年に救援活動への参加が認可されると、同委員会はLARAおよびフィラデルフィアのアメリカ・フレンズ奉仕団と連携して活動を開始した。募金運動、慈善行事、一般市民への呼びかけなどを行い、資金、食料、衣類、布地をはじめとする生活必需品を集め、日本への輸送を支援した。刊行物の一つである1947年のパンフレット『Of Milk and Eggs(ミルクと卵)』は、戦後日本の子どもや家族が直面していた深刻な栄養不足を伝え、広く一般に支援を呼びかけるものだった。
日本救援紐育委員会の活動がとりわけ重要な意味をもつのは、アメリカに暮らす多くの一世が、戦争終結後もなお「敵性国民」とみなされていた時期に開始されたためである。差別、戦時中の制限、コミュニティ生活の分断を経験しながらも、委員会の人々は継続的な人道支援活動を組織し、太平洋を越えるつながりを再び築いていった。
本コレクションに保存されている資料は、LARA、日本救援紐育委員会、そして日本で救援を受けた人々や施設との関係を記録している。資料には、委員会の議事録、募金活動に関する刊行物、寄付をめぐる書簡、写真、物資の輸送・配給記録、受給者から寄せられた感謝状などが含まれる。
これらの記録は、LARAによる救援が単なる大規模な組織的事業ではなく、コミュニティの人々によって支えられた、きわめて個人的で人間的な活動でもあったことを示している。ニューヨークで集められた寄付は、日本の人々のもとで食料、衣類、医薬品、その他の生活必需品となり、日本から送り返された手紙には、長い戦争と分断を経て生まれた感謝の思いと、人と人とのつながりの再生が記録されている。
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