日本救援紐育委員会 (1947-1952)

日本救援紐育委員会は、通称「LARA(ララ)」として知られるアジア救援公認団体(Licensed Agencies for Relief in Asia)と協力し、第二次世界大戦後の日本で深刻な困窮に直面していた人々に、食料、衣類、医薬品をはじめとする生活必需品を届ける活動に取り組んだ。

同委員会の前身は、1945年9月、ニューヨークの日本人および日系アメリカ人コミュニティの人々によって結成された「日本救援準備委員会」だった。当時、多くの一世移民は、戦争終結後もなお米国政府から「敵性国民」とみなされていたため、同団体は当初、日本へ資金や物資を送ることを制限されていた。1946年半ばに活動の認可を受けると、「日本救援紐育委員会」として正式に組織され、LARAとの協力を認められた地域団体の一つとなった。救援活動は、フィラデルフィアのアメリカ・フレンズ奉仕団(American Friends Service Committee、AFSC)を通じて調整された。

日本救援紐育委員会は、特定の一人によって創設された団体ではなく、コミュニティの人々が力を合わせて立ち上げた共同事業だった。前身である日本救援準備委員会の主要メンバーには、会長の湯浅八郎、副会長の赤松三郎、書記の松本亨をはじめ、芳賀武、川俣義一、此川清一、岡田二男、清水宗次郎、山口三之助、安井關治らが名を連ねていた。

同委員会は、募金運動、一般市民への呼びかけ、慈善行事、コミュニティへの広報活動などを通じて、ニューヨークに暮らす日本人および日系アメリカ人に、資金や救援物資の提供を呼びかけた。食料、布地、衣類をはじめとする生活必需品を集め、日本への輸送を支援したほか、1947年には、日本救援への協力を広く訴えるパンフレット『Of Milk and Eggs(ミルクと卵)』を刊行した。

LARAは、北米の慈善団体や宗教団体によるアジア救援活動を調整する統括組織として、1946年4月に設立された。1946年11月から1952年6月までに、食料、衣類、靴、綿、石鹸、医薬品など、総計約3,300万ポンドに及ぶ救援物資を日本国内で配布した。物資は、日本の社会福祉団体を通じて、必要に応じて無償で提供された。その約20パーセントは、ニューヨークの日系アメリカ人コミュニティを含む、北米および南米の日本人や日系人から寄せられたものだった。

本コレクションに保存されている資料は、ニューヨークにおける同委員会の組織と活動、そしてその救援事業が日本の人々にもたらした影響の双方を伝えている。資料には、1947年の委員会議事録、募金活動に関する印刷物、寄付をめぐる書簡、写真のほか、救援物資を受け取った日本各地の個人や施設から寄せられた、心のこもった感謝状が含まれる。

これらの資料は、ニューヨークの日本人および日系アメリカ人コミュニティが、戦争によって断たれた太平洋を越えるつながりを再び築き、戦後日本の復興に寄与した歴史を今日に伝えている。

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