ニューヨークの日本人画家たち

- 戦前期における芸術活動の足跡 -

はじめに

1917年の第1回目の独立美術家協会展は、マルセル・デュシャンの《泉》が物議を醸し出した展覧会として有名でしょう。この無審査・無賞の展覧会には当時ニューヨークで芸術活動をした日本人も作品を発表していました。同時代のアメリカで活動した日本人芸術家の中でも、国吉康雄やイサム・ノグチの作品は美術館で見たことがあるかもしれません。しかし彼らが活動した戦前のニューヨークには、メンバーの入れ替わりはあったものの、他にも常時20名前後の日本人芸術家がおり、日本人の美術展覧会が開かれていました。

本展覧会は、1910年代から1940年代にかけてニューヨークで活動した日本人芸術家の足跡を作品画像や美術展覧会の図録、英字新聞と日本語新聞の美術欄から紹介していきます。そして、ニューヨークの日本人芸術家のコミュニティーと当時のアメリカのアート・シーンとの関係を探り、彼らの創作活動の背景と作品が生み出された意図を明らかにしようとするものです。

本展覧会について

この展覧会で取り上げる芸術家のほとんどが、アメリカで活動した無名の日本人です。そのため彼らの作品は、今日、所在不明のものが多く、彼らの活動や芸術活動の実態はこれまで歴史に埋もれていたと言わざるを得ないでしょう。戦前のニューヨークで活動した芸術家は、国吉康雄や石垣栄太郎を中心に近年、アメリカや日本で注目されてきてはいますが、当時の英字新聞と日本語新聞の両方の美術欄を調査した研究は、これまでほとんどされてきませんでした。本展覧会は、戦前のニューヨークにおける日本人の芸術活動をアメリカと日本の20を超える美術館やアーカイブ所蔵の作品画像とともに、展覧会の出品目録、英字新聞だけでなく日本語新聞の美術欄を取り上げることで、彼らの創作に対する当時のアメリカ社会と日本人社会での見解の違いや時代背景を紹介する初めての展覧会であり、ゲストキュレター・佐藤麻衣氏の長年の丹念な調査の賜物でしょう。 

ニューヨーク日本歴史評議会では、これらの資料をデジタル化し、保存すると共に、デジタル・ミュージアムで展示していきます。そうすることで、現存する美術作品はもとより、これまで当時の展覧会の図録でしか確認できなかった、散逸した作品の構図が明確になるとともに、アメリカでは英語での研究が主流であった分野において、英語と日本語の資料とを併せて紹介することで、当時の日本人の芸術活動を日米両方の視点で紹介することを可能にしたのです。

背景の無い米国、直覚的にコムマアシャリズムを想像させる米人、この空気に囲まれて居る米国は――芸術を要求しない。

この米国にどうして本統の芸術が生れやう。 […]芸術を要求しない国に芸術家は生れない、と私の友人は論じた。勿論要求しないと定めるのは其人個人の感想である。然し今少し広い意味で考へたら恐らく世界何れの地も本統の芸術を要求しない処は無いと思ふ。現下、否何れの時代に於ても世界は常に本統の芸術にハングリである。何ものかが表顕された物であるならば世間はそれを見逃がしはしない。

然しこの商売的な米国にもウオルト ホイットマンが生れ、エー ピー ライダアの様な画家も生れた。米国を非芸術国とするよりか、今少し大きな心を持って自然の美を感受し得たならば、このアメリカの空気も其研究者に対して、ライダアに対するが如く又ホイットマンに向った如く、偉大な自然美を感げ得さすであらう。

(国吉康雄「美術我観」『紐育新報』1922年2月18日)