サムライ・イン・ニューヨーク

Year: 1860

「サムライ・イン・ニューヨーク」は,ニューヨーク市立博物館で初めて米国を訪れた日本外交使節団の旅についての展示を行った際に配布されたパンフレットである。 侍外交官達による日本使節団(多くのアメリカ人に「日本の大使館員達」と呼ばれた。) は,1860年に米国へ出航した。マシュー・ペリー米国提督が日本の港を米国船に開放するよう求��たわずか7年後のことであった。 1860年2月9日、170人以上の日本人が横浜港からサンフランシスコに向けて江戸を出発、その後76人の侍がパナマを訪れ汽車で横断した後ワシントンDCに向けて航海した。これらの76人には、理髪師、医師、通訳者、武具師、甲胄師、使用人、料理人、および大使達、特別検閲官、そして16人ほどの役人が含まれていた。 使節団は,日米修好通商条約批准書交換のために米国を訪問し,ワシントンDCで3週間過ごし議会議員及びブキャナン大統領と会談した。その後ボルチモア,フィラデルフィア,ニューヨーク市を訪問した。 ニューヨークは最後の訪問地であった。使節団は7月16日にニューヨーク港へ到着し,市の要人達は日本のお客に対しパレードや舞踏会,ツアーなどを企画し歓迎した。大勢のニューヨーク市民が,侍を一目見るために集まった。ニューヨーク市主催の大舞踏会は、当時ブロードウェイとプリンスストリートに位置したメトロポリタンホテルで開催され,侍達の様子は常にマスコミで報道された。 「トミー」の愛称で呼ばれた若い通訳の立石斧次郎は、使節団の中で最も人気のあるメンバーであった。 南北戦争と明治維新の為、商取引開始には時間を要したものの使節団の訪問は日米間の貿易関係の繁栄を築き上げるうえで非常に重要な一歩となった。 パンフレットの内の資料: ・フランク・レスリーのイラスト掲載新聞(1860年6月2日): 日本の侍を描いたイラスト ・村垣範正副大使の日記: ペリー提督の訪日コメント ・サンフランシスコからパナマに向かう米国海軍フリゲート艦 「ポーハタン号」と咸臨丸の写真 ・3人の大使と立石斧次郎 (トミー)の写真 ・ブキャナン大統領主催の日本使節団のための食事会の絵 ・ニューヨーク市長による使節団受け入れの絵 ・ウォルト・ホイットマンによる詩: The Errand-Bearers ・ニューヨークの日本人銀行員の写真:1905年 ・日本製のチーク木材のスタンドに立てられた象牙と銀で出来た壺

出典: ニューヨーク市立博物館
Added Date: 03/15/2021