ホシナ・セキ:信仰と家族、そして自らを生きる道 僧侶|芸術家|トランスジェンダーの長老|ニューヨーク仏教会

1941年、ホシナ・セキはマンハッタンに生まれ、父・関法然が1938年に創設したニューヨーク仏教会の本堂で育った。関師は鹿児島県出身の浄土真宗僧侶で、1930年に渡米し、アメリカ東海岸における日本人仏教の基盤を築いた中心人物となった。1941年の真珠湾攻撃後、関師はFBIによって逮捕され、3年以上を強制収容所で過ごすこととなった。関師の収容は、妻と子どもたち、そして寺院そのものを困難な状況に追い込んだが、関夫人、石浦ニュートン師、岡田スタンリー氏、そしてサンガの仲間たちが協力し、戦時下のニューヨークで仏教会を守り続けた。

敬愛される僧侶の娘として、ホシナは常に模範を求められてきた。しかしその裏で、彼女は自らの性自認に深い葛藤を抱えていた。「僧侶の息子なんだから、しっかりしなさい」と周囲から言われ続けた。10代でアルコールに依存し、美術や精神性、そして精神療法に居場所を求めた。

その後、ホシナは結婚し、3人の継子の子育てを手伝い、芸術と出版の世界でキャリアを築いた。やがてガネット社のクリエイティブ・ディレクターを務め、父も支えたアメリカ仏教研究センターの運営にも携わった。それでも、内面の不一致感は消えなかった。

70歳で性別適合手術を受け、自らがトランスジェンダー女性であることを公にし、その存在を受け入れた。仏教コミュニティは彼女の変容を温かく迎え入れた。「私はトランスジェンダーであり、私の輪廻は続いている。つまり、正しく生きられるまで何度でも生まれ変わるということ」と彼女は語る。

現在、ホシナとアメリカ仏教研究センターの理事やボランティアたちは、毎週のニュースレター、SMSメッセージ、YouTube動画、ポッドキャスト、対面およびZoomでのイベント、セミナー、フィールドトリップなどを通じて、仏教の智慧と日本文化をより多くの人々に届けている。年に数回のオープンハウスも開催し、誰でも気軽に参加できるようにしている。詳細はセンターのウェブサイト(ambuddhist.org)で案内している。

ホシナの歩みは、個人としての変容の記録であると同時に、精神的な遺産を受け継ぐ物語でもある。多様性と慈悲を重んじ、困難を乗り越えて仏教を広めようとした父・関法然の理念を、彼女は今も体現している。かつて「型破り」と見なされた関師は、非日系の僧侶を得度させ、広島の原爆を生き延びた親鸞聖人像をニューヨークに据え、平和の象徴とした。今日、アメリカ仏教におけるトランスジェンダーの長老として歩むホシナの存在は、その精神を次世代へと受け継いでいる。

参考文献

Subject:
Seki, Hoshina
Year:
1941
Media Type: