高峰譲吉博士(1854–1922)は、日本人として初めてアドレナリンを純粋な形で単離し、さらに麹由来の消化酵素「タカジアスターゼ」を発明した、生化学と国際交流の先駆者であり実業家・文化使節でもありました。これらの功績により、彼は日本とアメリカ両国で広く称賛され、近代製薬科学の先駆けとして知られるようになりました。
1904年のセントルイス万国博覧会では、日本館の建設を指揮し、京都の貴族邸宅を模した建物など、複数の伝統的建築を展示しました。その中でも「松楓殿」は、襖絵や彫刻欄間、装飾天井といった精緻な意匠が施され、日本建築の粋として高く評価されました。近年発見された牧野克次による設計原図により、彼が松楓殿の内装設計を担当したことが明らかになりました。図面には、京都御所風の意匠に対する細やかな配慮が表れており、松や楓のモチーフを用いた装飾から「松楓殿」という名称の由来も伺えます。
博覧会終了後、明治天皇からこの建物を下賜された高峰博士は、個人の費用で解体・輸送・再建を行い、ニューヨーク州フォレストバーグの別荘に再建しました。松楓殿は、日米間の文化交流や外交的な集いの場として活用され、高峰博士の「民間外交」の理念を体現する場となりました。
その後、建物は老朽化しましたが、2007年から日本への一部内装の返還が始まりました。2020年には、富山県高岡市にて松楓殿の一部再現展示(松楓の間)が公開され、当時の天井画や襖絵、家具などが保存・展示されています。年間を通じて一般公開されており、20世紀初頭の日本美術と建築が海外にどのように紹介されたかを体感できます。
また、同市の「高峰譲吉記念館」(たかしん高峰記念館)では、科学的業績、桜の寄贈、ニューヨーク日本クラブ創設など、高峰博士の生涯と国際的貢献を多角的に紹介しています。松楓殿は今もなお、科学的革新と文化的尊重を融合した高峰博士の精神を象徴する存在です。