流政之とニューヨーク万国博覧会

流政之(1923–2018)は「サムライ芸術家」と呼ばれ、戦後日本を代表する彫刻家である。武道を修めた後に石彫を志し、荒々しく刻んだ表面と滑らかに磨き上げた平面を対比させる独自の作風を築いた。その造形は緊張感を生み、日本の伝統的な美意識と20世紀モダニズムの精神を結びつけるものであった。

彼の国際的な飛躍は、1964–65年のニューヨーク万国博覧会で訪れた。前川國男が設計した日本館において、外壁の石造部分を担当し〈ストーンクレージー〉と呼ばれる巨大な花崗岩の壁を制作した。香川県庵治で切り出された石を用い、熟練の石工とともに築かれたその壁は、日本の城郭を思わせる要塞的な存在感を放ち、周囲の堀とともに観客を迎えた。伝統的な技術が重厚に表現される一方、館内には実物大の新幹線模型など最先端の展示が並び、永続性と未来性の対照が鮮やかに示された。

この構成は、伝統を基盤としながら急速に近代化を進める日本の姿を象徴していた。流にとっても、彫刻の語彙を建築的なスケールへと拡張する挑戦であり、石を用いた環境そのものを体験として提示する試みであった。数百万の来場者がこの空間を通り抜けることで、彼の作品は単なる造形物を超えた文化的風景となった。

博覧会はまた、太平洋を横断する文化交流の場ともなった。流はイサム・ノグチやジョージ・ナカシマら日系アメリカ人芸術家を庵治の石切場に招き、戦争によって断たれた伝統との再接続を促した。日本館は国家の象徴であると同時に、離散した芸術家たちをつなぐ場所でもあった。

その後もニューヨークとの関わりは続いた。1970年代にはワールドトレードセンターの広場に〈雲の砦〉を設置し、都市の日常に石の静けさを持ち込んだ。この作品は2001年に失われたが、長年にわたり都市の風景に刻まれた象徴的存在であった。

フラッシング・メドウズからマンハッタンまで、流の石彫はニューヨークの景観に深く根を下ろした。石の永続性と都市の躍動を結びつけ、日本と世界を架橋する文化的対話を体現したのである。1964年の万国博覧会はその出発点であり、彼の芸術が国際舞台で力強く示された記念碑的瞬間であった。

参考文献

Subject:
Nagare Masayuki
Year:
1964-1965
Media Type: