マサル・エドマンド・ナカワタセ:静かなる献身と社会正義の架け橋

マサル・エドマンド・ナカワタセ(1943年生)は、日系アメリカ人の公民権運動家、教育者、そして平和と正義を追求する活動家。第二次世界大戦中、アリゾナ州ポストン強制収容所で出生。戦時下の抑留と戦後の再定住という体験に影響を受けた世代に属する。

戦後、家族とともにニュージャージー州のシーブルック・ファームズに移住。シーブルックは、日系アメリカ人の再定住地として設計された企業町であり、元抑留者のみならず、エストニア人、ウクライナ人、黒人、ラテン系の労働者も暮らしていた。多民族・多言語環境の中で育ったナカワタセは、幼少期から不正義によって故郷を奪われた人々の声に囲まれていた。この経験が、後の社会正義への関心と倫理的行動原理を形成する基盤となった。

ラトガース大学に進学するも、1963年に中退し、アトランタで活動していた学生非暴力調整委員会(SNCC)に参加。1960年代の黒人公民権運動にアジア系アメリカ人として加わり、草の根レベルで有権者登録運動や人種差別撤廃運動に従事。SNCCの組織者らとともに、アメリカ南部の制度的人種主義と対峙した。

その後、クエーカー派が創設した平和と社会正義の団体「アメリカン・フレンズ・サービス・コミッティー(AFSC)」に加わり、30年以上にわたり勤務。活動分野は広く、先住民族の土地権、地域社会の組織化、国際平和構築、人種平等教育など多岐にわたった。クエーカーの非暴力・平等・簡素といった理念に加え、戦後の再定住経験と日系人としての立場が、彼の活動を支える思想的な支柱となった。

1980年代には、日系アメリカ人に対する補償と謝罪を求める運動(レドレス運動)を支援。オーラル・ヒストリーや記憶継承の活動に力を注ぎ、シーブルック教育文化センターの代表を務め、デンショー、JACL各支部と連携して、収容と再定住の歴史、とくに主流から見過ごされがちな地域の記録保存に寄与した。

AFSC退職後も、地域社会に根ざした教育や若手の育成に深く関与。フィラデルフィアのAsian Americans United(AAU)やFolk Arts–Cultural Treasures Charter Schoolなどの理事を務め、人種、アイデンティティ、連帯をめぐる対話を継続している。

生涯を通じて静かで誠実な行動を貫き、ナカワタセは世代、文化、運動をつなぐ橋を築いてきた。彼の歩みは、経験に根ざした正義、倫理に基づく実践、そして集合的記憶の重要性を体現するものである。

参考文献・関連資料

オーラル・ヒストリー/インタビュー

略歴・著者プロフィール

関連団体による歴史資料

公開講演

Year:
1943
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