前川國男(1905–1986)は、日本近代建築を代表する建築家である。1930年代に渡仏しル・コルビュジエに学んだ経験を持ち、帰国後はヨーロッパのモダニズムを日本の文脈に移植することを志した。戦前から戦後にかけて活動をまたぎ、戦後復興期には合理的かつ国際的な建築を通して日本の近代化を支えた。1964–65年ニューヨーク万国博覧会の日本館は、冷戦期において日本がどのように国際社会に自己の位置を築こうとしたかを示す象徴的な事例である。
このパビリオンは柔軟性、合理性、技術表現を重視したモジュール型の構成で設計された。プレハブ化されたユニットと合理的な計画手法が導入される一方で、日本的な空間感覚―開放性、比例、環境との調和―を保っていた。そこには「伝統と未来主義の緊張関係」が明確に表れており、戦後日本建築の大きな主題のひとつが具現化されていたといえる。
また、このパビリオンは戦後復興期の楽観主義と1970年大阪万博に結実する野心的な未来像をつなぐ架け橋でもあった。過去の文化的系譜を受け継ぎながら、技術的近代性と国際的自信を打ち出す構成は、日本が戦後に直面した「和解」と「再定義」の課題を建築に託したものだった。
前川が追求した理論的関心もここに集約されている。彼は一貫して、日本の近代建築は単なる西洋の模倣にとどまらず「地域性に根ざした普遍性」を構築すべきだと主張した。ニューヨーク日本館は、その思想を体現している。モジュール構成の明快さは国際モダニズムの言語でありながら、空間構成の細部には日本的な美学が宿っていた。この「普遍」と「固有」、「近代」と「伝統」の均衡は、未来志向の日本像を求める来場者に強い印象を与えた。
当時の設計過程は、図面、模型、論考、事務所資料などによって豊富に記録されている。これらは単に建築の技術的記録にとどまらず、1960年代における日本の建築家たちの知的議論を映し出している。国家イメージ、技術革新、文化的真正性をめぐる問いが渦巻くなか、日本館はその議論が最も鮮明に可視化された場のひとつであった。
振り返れば、1964–65年日本館はひとつの到達点であると同時に新たな出発点でもあった。戦後日本を代表する建築家としての前川の地位を確立し、さらに大阪万博における技術と未来主義の建築表現へとつながっていった。ニューヨーク日本館は、建築を媒介として日本が急速に変化する国際秩序の中で自らの位置を交渉しようとした試みの象徴と位置づけることができる。
参考文献
松隈洋『建築の前夜 前川國男論』2016年 みすず書房
松隈洋『未完の建築 前川國男論・戦後編』2024年 みすず書房
前川國男建築事務所
Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library.
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