1950年にニューヨーク大学で動物学の博士号を取得した後、1955年にケープヘイズ海洋研究所(現モウト海洋研究所)を設立した。視覚的なヒントから標的を選ばせるようにサメを訓練できるという方法を示すことで、サメが知性豊かな生物であり、海洋生態系において重要な役割を果たしているということを証明した。また、日本とメキシコの海中洞窟で眠るサメを観察したことによって、サメは生きるために絶えず動き回らなければならないという俗説を覆した。さらに、紅海のウシノシタ(シタビラメとも言われるカレイ目の魚)に対する研究では、初めて自然由来のサメに対する忌避剤を発見することとなった。慈善家であるアンとウィリアムのヴァンダービルト夫妻のサポートのもと、モウト海洋研究所を発展させて海洋生物学研究を牽引する施設の一つへと変貌させた。1968年にはメリーランド大学生物学部の教員となり、30年近く従事した。 クラーク博士は200以上のフィールド調査遠征を主導し、72回の潜水艇ダイビング(最大で水深12,000フィート)を行い、水中研究用のスキューバ用具を開発する先駆者ともなった。海洋の知識を広く伝えることに不断の努力を行い、サイエンス誌とナショナルジオグラフィック誌に数々の論文を投稿し、「もりを持ったレディ(原題:Lady with a Spear)」(1953)と「レディとサメ(原題:The Lady and the Sharks)」(1969)の2冊の本を書き上げた。さらに、世界中を飛び回り、小学生から日本の明仁天皇(現上皇)に至るまで様々な聴衆に講演を行い、魚類学の面白さを伝えた。