ダーレン・ムコダは、戦時中の強制収容、戦後の再定住、そして地域社会の再建に影響を受けた日系アメリカ人の歴史を保存することに取り組んできた教育者であり、オーラル・ヒストリアン。ニュージャージー州ブリッジトンで生まれ育ち、第二次世界大戦中および戦後にシーブルック・ファームズへ移住した日系アメリカ人家族の三世にあたる。
ムコダの家族がシーブルックと関わるようになったのは1940年代半ば。冷凍食品会社シーブルック・ファームズ(経営者チャールズ・F・シーブルック)は、トゥーリー湖収容所やジェローム収容所などから日系アメリカ人を労働者として募集した。同社はまた、エストニア人、ウクライナ人、アフリカ系アメリカ人の労働者も受け入れ、戦時中の労働力不足に対応していた。多くの日系アメリカ人にとって、シーブルックは収容所から出て生活を再建できる数少ない選択肢の一つであり、たとえ過酷で搾取的な環境であっても、希望の場でもあった。
ムコダは、戦争と差別によって移住を余儀なくされた家族たちが共に暮らす、多人種・多言語の環境の中で育った。この経験が、のちの彼女の活動と価値観を形成した。大学はオーバリン・カレッジを卒業し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でアジア系アメリカ人研究の修士号を取得。農村部や工業地域における労働、移動、抵抗の物語など、これまで見過ごされてきた日系アメリカ人の歴史に光を当てる研究と実践を続けている。
2000年代初頭からは、シーブルック教育文化センターの中核メンバーとして活動。展示企画、オーラル・ヒストリーの収集、地域と全米の歴史を結びつけるプログラムの実施などを通じて、シーブルックの記憶を記録し、伝える役割を果たしてきた。また、シーブルックという場所の二面性―避難所であると同時に経済的統制の場でもあった―を描いたドキュメンタリー『The Paradox of Seabrook Farms』にも参加している。
インタビューの中でムコダは、収容所から出て最初の夜のことをこう語っている。「まるで天国に来たようだった。ベッドの上に本物の人形が置いてあったのを見たとき、本当に心が喜びでいっぱいになった。」この安堵感は、企業管理の町での現実―監視のもとで働き、低賃金で生活する日々―によってすぐに打ち消されることになる。
ムコダは長年にわたり、歴史の記憶と世代を超えた正義を訴える活動を続けてきた。Tsuru for Solidarity などの全米規模の団体と協力し、収容所跡地への巡礼や若者への指導を行っている。彼女の人生を通した取り組みは、物語を語ることが癒し、責任、そして連帯の道であるという信念に支えられている。
出典:
Densho Digital Repository. Darlene Mukoda Interview, conducted by Tom Ikeda. Courtesy of JACL Philadelphia. https://ddr.densho.org/interviews/ddr-phljacl-1-27-5.